瑞穂区の歴史はまだ見えない

 今日の1ページは瑞穂区の村上神社
 おどり山古墳の上にもともとあったのが眞好社で、眞好社が去ったあとに熱田大神を祀る熱田社が建てられて、その後、町名から村上神社に改称されたという流れは明確で疑う余地はない。
 どうして眞好社を移さなければならなかったのかという根本的な謎はあるし、後釜として選んだのが熱田の神だった理由もよく分からないのだけど、それはそれとして事実を受け止めるしかない。

 瑞穂区の歴史についてようやく少しずつ分かってきた。ただ、やっぱりよく分からないのが、古墳時代と神社創建時代との間のことだ。
 瑞穂台地の古墳は5世紀から6世紀、7世紀にかけて築かれたとされる。
 古い神社が創建されるのは7世紀か8世紀のことだけど、瑞穂区には式内社がなく、一番古いと思われる津賀田神社でも鎌倉時代あたりのようだ。
 瑞穂台地に古墳を築いた勢力と最初に神社を建てた勢力は同じなのか違うのか。
 645年の大化の改新と翌646年の改新の詔はひとつ大きなターニングポイントだった。
 その前に、熱田の断夫山古墳が築かれたのが6世紀初めと考えられている。
 古代尾張氏が尾張を統一したのは6世紀だったのか7世紀だったのか。統一といっても力で抑え込んだというのとは違っていただろうけど、瑞穂台地の勢力も尾張氏の傘下に入ったと考えられる。
 しかし、尾張氏がその後どうなっていったのかは意外と知られていない。平安時代まで熱田社の大宮司ではあったものの、奈良、平安時代の政治の表舞台には登場せず、神社創建で尾張氏の名前が直接出てくることはない。
 このあたりの流れがどうもよく分からない。尾張氏もまた中央集権国家構想に飲み込まれていったということだろうか。
 瑞穂区は縄文、弥生から人が暮らしていながらすごく古い神社というのがない。それもまた、瑞穂区の不思議なところだ。

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