今日の1ページは千種区赤坂町の上野天満宮別宮。
上野天満宮に対してはいろいろ言いたいことがあるのだけど、上野天満宮にしてもいろいろ言えない事情もあるのだろう。
八坂社をつぶし、別宮の土地をコンビニに売り渡したのも、きっとやむにやまれぬ理由があるのだろう。外部からは分からないことも多いに違いない。単に金儲けに走ったわけではないと思う。そう信じたい。
それにしても、境内社を取り壊して結婚式のための社殿を新築したり、それに晴明殿などという名前をつけるあたりも、素直に共感できない部分だ。
ただ、神社としての上野天満宮は嫌いじゃない。同じ神社にあまり繰り返して行かない私が上野天満宮は何かと出向いていっている。なんだかんだいってあの神社が好きなのかもしれない。
鍋屋上野村にあった神社の消息が気になる。本編にも書いたように、どうなったか分からない神社が何社かある。
一之御前社は『寛文村々覚書』では一王御前となっていて、この神社も気になるところだ。
江戸期の書では上野天満宮の扱いは小さい。というよりも天神社が上野天満宮のことなのかどうかもよく分からない。
創建は平安時代としているのだけど、それはちょっとどうなんだろうと思う。左遷されてこの地に移り住んだ安倍晴明一族云々というのも正直全面的に信じられる話ではない。
安倍晴明本人ではなく子孫や関係者などと何からの関わりがあった可能性はあるだろうけど。
コメント