今日の1ページは東区東桜の冨士神社。
一時避難的な引っ越しと思ったらそのまま戻ってこなかったときの村人たちの落胆を思うと同情する。それでも結果的には戻ってきたのだからよしとすると割り切れたのか。
行った先が気に入ったようですっかり定着したから向こうの村人には喜ばれただろう。
神社の遷座や合祀などと言葉で書くと軽いけど、そこにはドラマがあり、多くの人々の複雑な思いもあったに違いない。
江戸時代、もしくはそれ以前の人たちにとって神社というものがどれだけ大事なものだったのか、現代の私たちには理解できない部分もある。我々が考えている以上に切実だったのではないか。
もちろん、お寺も神社とは別の部分で必要不可欠なものだっただろうけど、神社はもっと精神的な部分でもつながりがあって、村のシンボル的な存在でもあったはずだ。
生まれた村で生きてどこへも行かず村で死ぬことが当たり前だった時代、神社は一生の付き合いになる。途中でなくなってしまったらそれは困るというものだ。
神社は人に寄り添い、人は神社に寄り添う。そういう依存関係は悪いことではないと思う。
コメント