神社の千年
今日の1ページは緑区大高町町屋川の八幡社。
大高城にあった城山八幡社とセットだったのに、時代の移り変わりの中で大きな差が開いた。
式内社ですらすべてがそのまま現代まで続いたわけではなく、廃絶したものも少なくない。
もともとはあぜ道の小さな祠だったのが立派な村社になった例もたくさんある。
栄枯盛衰といえばそれまでなのだけど、神社の命運も読めないものだっただろう。
平安時代以前創建の神社が千年先のことまで考えていたかどうか。
長い地球の歴史の中で千年などごく短い時間に過ぎないとはいえ、人の一生を単位として考えると千年はけっこうな長さだ。この先の千年のことを想像するのは難しい。
千年先の日本人も、この神社は式内社だからなんてことを話してるのだろうか。