尾張国の人間にとって富士山とは

 今日の1ページは緑区鳴海町向田の淺間社
 なんとなく浅間社と諏訪社のイメージがだぶって、ときどきごっちゃになる。もちろん、信仰対象は全然違うし、具体的に似ているところがあるかというとないから、私の思い違いでしかないのだけど。
 浅間社は名古屋に何社くらいあるだろう。10社より多いか少ないか。パッと思いつくのは5、6社だけど、もう少しあるはずだ。
 浅間社関連社が全国に何社くらいあって、どういう分布になっているのかはまったく把握してないからなんとも言えないのだけど、名古屋は意外と少ないというのが個人的な印象だ。もう少しあってもよさそうに思う。
 いつの時代かに流行したというわけでもなく、廃ったわけでもなく、そこそこ建てられて、そこそこ残った感じだ。
 江戸時代、尾張国の人間のどれくらいが富士山を実際に見たことがあったのだろう。尾張国内からはほとんど見えなかったはずで、参勤交代などで江戸に行っていた人は当然見ているとして、庶民が富士山を見る機会があったかどうか。
 富士山というのは意外と遠い存在だったのかもしれない。
 名古屋における浅間社の傾向については神社コラムでまとめたいと思っている。

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