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複雑な神明社

 今日の1ページは昭和区藤成の神明社
 前にブログに書くために少し調べたときはそんなに難しい神社ではないと思ったのだけど、もう少し深く調べてみると、これがなかなか複雑で難しかった。単純な神明社とは違う。
 創建が室町中期の1394年というのは、その時期、この場所で何かがあったということだ。もちろん、まだ藤成新田などはできていない。あらたに集落ができたか何かしただろうか。
 この2年前の1392年に南北朝時代が終わっていることと何か関係があるだろうか。中央とは直接関係がない土地でも何らの変化が起きた可能性はある。
 1394年創建が事実だと仮定すると、やはり祭神はアマテラスではなかっただろうし、神明社でもなかっただろう。
 川原神社からの勧請というのはどんな根拠があるのだろう。川原神社から勧請したという神社は他には知らない。境内社としても川原神社関連は見た記憶がない。
 単純な神明社と複雑な神明社があって、藤成の神明社は後者だ。その歴を紐解くのはなかなか難しい。もう少し深く突っ込んで知りたいと思うけど、今のところこれ以上知るための手がかりはない。

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