今日の1ページは千種区の千代ヶ丘椿神社。
本家の椿大神社がどうして許可を出したのか、ここを建てた人が関係者だったのか、そのあたりの事情を知りたいところだ。
神社の中で、たくさん勧請して建てられているところとそうではないところがある。
尾張国でいうと、一宮の真清田神社から勧請して建てたという神社は知らないし、二宮の大縣神社からの勧請というのも聞いたことがない。田縣神社もないんじゃないかと思うし、尾張国総社の尾張大國霊神社(国府宮神社)からの勧請はあるようなないようなだ。
尾張三宮の熱田神宮はたくさんある。
式内社とされる神社も、そこから勧請したとする神社はほとんどないか、ごく少ない。
この差というか違いは何なのだろうと考えることがある。人気のあるなしではないし、歴史の古い新しいが直接の理由でもなさそうだ。古い歴史を持つ神社からは勧請したくてもできなかったのかとも思うのだけど、熱田神宮や伊勢の神宮は古いけどそうではない。鹽竈神社のような例もある。
そもそも勧請するということがどういうことなのか、私がちゃんと理解できてないということもある。その感覚がよく分からない。
時代の移り変わりにつれて事情も変わっていったのだろうけど、あらたに神社を建てるとなったとき、勧請は必須だったのかそうではなかったのか。
先祖を氏神として祀る場合は当然勧請ではないし、土地の神様を祀るときもそうではなかっただろう。それ以外で勧請以外に自由に神社を建てて好きな神を祀ってよかったのかどうか。
そのへんのことはもっと勉強しないといけない。神社を建てるという行為について私自身分かっていないことがまだまだ多い。
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