今日の1ページは西区平中町の八幡社。
謎はないけど、もう一歩のところがよく分からない神社だ。見えそうで見えないもどかしさがある。
戦国時代創建にしても、戦国の前期か中期か後期かでは意味が違ってくる。そもそも時代で区切って考えることも危ういのだけど。
平田村の神社に関していうと、天神社と神明社はどうなってしまったのか。平田村にあった6社の中で、この2社の行方が分からない。どちらも字名になるくらいだから、その地区では中心的な神社だっただろうに。
その6社すべてが江戸時代以前に建てられているというなら、平田の集落はけっこう早くから人が暮らしていたと考えられる。その時期次第では、神社も早くからあったかもしれない。
なんとなく西区を進めているけど、西区は実は小さな社がたくさんあって、それらを全部網羅しようとするととんでもないことになる。西区の不明社は、ある程度大きな所だけに絞ろうと思っている。
気持ちが少し市外編に向かっているのだけど、市内編もまだまだかかる。
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