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稲荷社は案外ある

 今日の1ページは南区の忠次稲荷神社
 新田開発の守り神として創建されたのであればそういう記録が残っていそうなのに残っていない。
 昭和の新しい神社の可能性もあるのかと思ったら『尾張志』に載っている。
 ということは、新田が完成したときではなく、その後何年か何十年か経ってから建てられたということか。
 創建がはっきりしない神社は多いというかほとんどそうなのだけど、創建のいきさつが分かってもよさそうなのに分からないという点に違和感というか納得がいかない感じが残った。

 名古屋に独立した稲荷社は少ないと思っていたのだけど、南区はけっこう稲荷社がある。多くはないけど珍しいというほど少なくもない。認識を改めないといけない。
 神社めぐりをするまでは、名古屋の神社について漠然としか分かってなかったし間違った認識も持っていた。
 名古屋の主要な神社はだいたい回ったと言い切れるようになったとき初めて名古屋の神社について少し見えてくるかもしれない。まだ意識の中で穴だらけで完成図は見えていない。
 まだやっと500社弱。600社は確実にあるから、最後まで一社ずつ着実に回っていかないといけない。

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