干拓新田の広大さ

 今日の1ページは南区加福の神明社
 加福新田と無関係の神社ではないだろうに、どうして加福新田の守り神として建てられたという話が伝わっていないのだろう。當栄新田時代とも、加福新田とも無関係の神社ということもあり得るだろうか。
 昭和初期に七所神社の境外社の神明社として移されたという話は気になる。
 加福新田も広くいえば笠寺村で、七所神社は笠寺村の神社だから、もともと笠寺村にあった神社を加福新田に移したという可能性もなくはない。

 加福の地名の由来は調べがつかなかった。苦労して開発した土地だから、もっと福を加えて欲しいと願ってそう呼んだのだろうか。
 このあたりの新田についてまだ全体像が頭に入っていない。港区をやってからでないと全体を把握することができないということもある。
 名古屋港が埋め立てによって造られたことは知っていたけど、南区の南西と港区全体が江戸時代以降の干拓によって造成された土地ということは知らなかった。とてつもなく広い範囲の海を陸地化している。あらためてそれはとんでもないことだと、ちょっと恐ろしいような感じもする。

スポンサーリンク

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Scroll Up