志段味の氏族は?

 今日の1ページは守山区中志段味南原の諏訪神社・参拾番神社・吉嶽稲荷神社
 中心は諏訪神社なんだろうけど、もともとこの場所にあったかどうか分からない。諏訪神社も別の場所から移されたかもしれない。
 参拾番神の神社が残っているのはちょっと嬉しい。嬉しいというか痛快な感じがする。明治政府の禁止令を乗り越えて現代まで生き延びたということだから。
 守山区は小さな天王社もたくさん残っていて、祭神は一応スサノオとしているのだろうけど、天王社という神仏習合時代の名前を残しているところに反骨心みたいなものを感じる。
 志段味の古墳群は中央とつながった尾張氏とは別の独立勢力のように思う。最終的には傘下に入ったのだとしても、最初は違っていたのではないか。
 ではどういう氏族だったのかというと、それが見えてこない。
 庄内川の川向こうには物部氏や和珥氏の残像があるけど、志段味にはそれがない。ここを本拠としていたのはどんな氏族だったのだろう。
 長い間発掘調査が行われて、歴史の里という古墳のテーマパークもできる。
 まだまだ志段味古墳群には注目していく必要がある。そこから神社へのつながりも知りたいところだ。

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