今日の更新は2ページ。西区笠取町の八幡社、西区笠取町の天王社。
どちらも元は屋根神様だったのではないかと思われるような小さな神社なのだけど、神社に昇格したということはそれだけ地域の人たちに大事に思われていたということだろう。
屋根から降ろされてそのまま廃止になったものもたくさんあっただろうし、地上に降ろして祀るようになったものでも名もなき社のままというものが多い。
神社もしくは社という名前を与えられて初めて神社として存在するといっていい。名前がなければ地図にも載らない。
それに絡んだ話で、創祀と創建をはっきり区別して認識しなければならないと最近強く意識するようになった。
創祀というのは祀ることを始めた年で、創建は社殿を建てた年というのが基本的な認識でいいと思うのだけど、創建年が必ずしもその神社の始まりではないということだ。
たとえば熱田神宮の創建は195年となっている。神社にあまり詳しくない人はそういうものなんだとそのまま受け取るだろうし、少し詳しい人ならそんな古い時期にあり得ないと否定するだろう。
しかし、これを創祀とした場合、195年というのは本当にあり得ないことなのかと考えてみる必要がある。
ヤマトタケルが活躍したのは景行天皇の時代と考えると4世紀前半ではないかという説がある。草薙剣云々の話がどこまで史実かは別にして、このときまでにヤマト王権はほぼ全国を統一して、尾張国は尾張氏が統一していたことを思えば、300年代に熱田社が始まったと考えるのは荒唐無稽なことではない。あるいはもっとさかのぼるかもしれない。
社殿を初めて建てたという意味での創建が大化の改新の645年以降だったとしても、熱田社の始まりがそんなに遅いはずがない。
これは『延喜式』神名帳にも関わってくる話で、『延喜式』完成の927年時点ですでに創祀が始まっていても創建されていなかった神社が神名帳から漏れたという可能性が考えられる。
一般的に創祀という言葉はあまり使われず、創祀も創建も区別せずに創建という表現を使うことで混乱や間違いが生まれてしまっている部分がある。私自身、この神社サイトを書く上で、今後は創祀と創建の違いをはっきり意識しなければならないとあらためて思った。
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