『愛知縣神社名鑑』よもう少し

 今日の1ページは西区稲生町の神明社
『愛知縣神社名鑑』の説明は言葉足らずで言っている意味がよく分からないことがある。稲生町の神明社についてもそうだった。スペースが限られているから仕方がない部分もあるのだけど、もう少し説明してもらわないと理解できずに混乱してしまう。
 そもそも、『愛知縣神社名鑑』は誰に向かって作った本なんだろうという根本的な疑問も抱く。2万円もするから、一般人で買う人は少ないだろう。本屋にも置いてないはずで、熱田神宮の愛知県神社庁まで行かないと入手できないかもしれない。私は必要な部分だけ図書館でコピーしていて買ってないからあまり強くは言えないのだけど、いつか改訂してほしいと願わずにはいられない。
 それはともかくとして、備前検地のときに地鎮祭をしたという話が神明社の社伝として伝わっているということはやはりよく分からない。考えても分からないのでとりあえず放置するしかない。

 本編には書かなかったのだけど、境内に墓石らしきものがある。
 南無妙法蓮華経と刻まれた石碑と並んで別の石碑もある。
 隣というか同じ敷地内に稲生学区集会場がある。
 神明社はもともとこの場所にあったのだろうか。よそから移してきたものかもしれないし、境内に集会所を建てたという可能性もあるか。

 神社について分かることは少なく、分からないことが多いということを再認識する。
 それでも、私自身、もう少し踏み込む必要があることを自覚している。

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2件のコメント

  1. この神社は集会場の西側の道のの北の行き止まりにある稲生山 妙本寺の門前社ではないでしょうか?
    宝塔さま(南無妙法蓮華経碑)に妙本寺の名前が彫られています。
    用水が江戸時代に交通の要所の名残で妙本寺への参道入り口であったのではないでしょうか?

    1. >nagoya-jpさん

       この稲生の神明社の創建のいきさつがよく分からないのでなんとも言えないのですが、妙本寺とは直接関係はないかもしれません。
       というのは、妙本寺は真言宗の寺として1114年に創建されたという古い寺ですが、信長時代に清洲に移されて、名古屋城築城後は清洲越しで東寺町(東区)に移されました。なので、江戸時代は東寺町にありました。現在地に移された(再建された)のはそれ以降のことのようです。
       神明社自体ももともとここにあったかどうか定かではなく、やっぱりよく分からないというのが実情です。

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