尾張氏とは何かという問い
今日の1ページは熱田区の上知我麻神社。
上知我麻神社の祭神をオトヨとして何の疑問も抱かなければ熱田社関連の謎は永遠に解けない。
熱田社に関することはすべて疑ってかかった方がいい。本当のことは何もないというと言い過ぎだろうか。熱田社側に隠す意志がなかったとしても、途中で上書きされて下の部分が隠れてしまっている。本社を含めてすべての関連社がそうだ。
上知我麻神社の最初の祭神はイナツチノオジだったのだろうか。それはシオツチノオジと同一なのか別なのか。
シオツチノオジは住吉大神とする説がある。
また、シオツチノオジはタケミカヅチとフツヌシの道案内をし、神武に東にいい国があるとそそのかした導きの神といった一面も持つ。そこからサルタヒコと同一視する考えもある。
もし、尾張国造の初代が本当にオトヨで、この地の豪族に婿入りして尾張氏を名乗ったとするならば、尾張国の元になった氏族というか神はシオツチノオジ系かサルタヒコ系ということになるかもしれない。
尾張氏は中央の朝廷と強いつながりを持ちながら朝廷の神を祀らず、自分たち独自の神を祀った。言い換えればそれが許されたということでもある。
それでいて、中央側の歴史書である『古事記』、『日本書紀』では尾張氏の活躍は描かれない。ほとんど黙殺といった態度を取っている。それはどういう意味を持っているのか。
尾張氏とは何かという問いは、そのまま熱田社とは何かという問いと重なる。
分からないなりにもう少し考察を続けたい。