熱田社関連はいったんここまで

 今日の1ページは熱田区の下知我麻神社
 このサイトは神社研究を目的としたものではなく、あくまでも神社紹介のサイトだから、あまり踏み込まないようにしたいと、以前に何度か書いたことがある。
 今もその気持ちに変わりはないのだけど、一部の神社に関しては例外的に一歩、二歩、踏み込む場合がある。特に熱田社関連がそうで、ここをさらっと流してしまうと表面をなでただけで終わってしまう。それはもう熱田社側の思う壺などというとそんなつもりはないと熱田社はいうかもしれないけど、熱田社はやっぱり何かを隠している。隠れているだけなのか意図的に隠しているのか、たぶん両方だろう。熱田社の人間も熱田社についてすべて分かっているわけではあるまい。

 熱田社関連はいったんここまでとするけど、これで終わったわけではない。何一つ解決していないし、理解もできていない。
 御田神社は式内社でもあり、書いておかないといけないだろう。
 吉備武彦を祀るとする龍神社も気になっている。尾張と吉備はどういう関係にあったのか。
 熱田社本社でスサノオを祀った経緯についても引っかかっている。
 熱田社は草薙剣を祀るために建てたのではなく、ヤマトタケルを祀るために建てた神社で、草薙剣が初めて来たのは868年だったという説を知って、なるほどそれはあり得ると思った。天武天皇から草薙剣が送られてきたときの熱田社のあわてぶりは普通ではない。
 それと、第二次大戦末期に草薙剣を飛騨一宮の水無神社に疎開させているのだけど、何故飛騨の水無神社だったのだろう。これも前から気になっていたことのひとつだ。
 そのあたりのことも含めて熱田神宮のページも全面的に書き直さないといけない。
 とりあえず少し寝かせる。機が熟したら熱田社関連を再開したい。

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