今日の1ページは港区錦町の錦神社。
錦とは、色の付いた糸で模様を織った織物のことだ。そこから転じて美しいもの、立派なものをたとえて言う。
遊廓の町につけた名前が錦町。夜の煌めきと悲しみが織り込まれた町の名にふさわしい。
周囲は真っ暗な田んぼの中に遊廓の明かりが浮かび上がる。それは海からも見えた光景だ。見たこともないそんな風景が確かに見えた気がした。
神社は人の暮らしの近くに寄り添っているという点で猫に似ている。見ていない振りをしてしっかり見ているところも同じだ。
ある種の人は猫を愛すように神社を愛しているのかもしれない。神社好きの人に猫好きが多いような気がするのは気のせいではない。
そこにあるのが当たり前だった神社があるとき突然消えてしまうことがある。毎日遊びに来ていた猫がある日を堺にばったり姿を見せなくなってしまうみたいに。
それは仕方がないことなのだけど、悲しいことだ。
時代は移ろい風景も変わる。町の記憶は神社の中にかすかに残る。
記憶装置としての神社というものをもう少し大切にしてもいい。そのためにこの神社サイトがいくらかでも役に立てばいいと思う。
コメント