江戸時代の人の中にヤマトタケルはいたか

 今日の1ページは港区小川の熱田社
 江戸時代の人たちが熱田社の神としてヤマトタケルの姿を思い描いていたとは思えないのだけど、実際のところどうだったのだろう。『日本書紀』を読んでいた人は限られるだろうし、日本神話のヤマトタケルのことをどこまで知っていただろうか。
 ただ、熱田の白鳥古墳などは古くからヤマトタケルの墓という伝承があったくらいだから、ヤマトタケルの存在を認識していたとしても不思議ではない。熱田社創建のいきさつについても、ミヤズヒメとの出会いや別れのエピソードも共通の認識だった可能性はある。
 そのあたりの実情を知ることができないのがもどかしい。江戸時代の人間が書き残した日記などの私的な文章にもっと当たらないといけないか。

 なんか港区もずいぶんかかっている感じになってきた。やってもやって終わらない感覚は、南区や中川区に匹敵する。
 今日までで54社。まあまあ多い。2ヶ月近くもやってたら、それはもういつまで経っても終わらない気がするのも無理はない。
 とりあえずもう港区は回り終わったので、残り10社を書くだけだ。
 当初の予定では2017年の4月くらいには終わってるはずだったんだけどな。

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