港区の歴史は新田開発の歴史

 今日の1ページは港区の神明社(茶屋後)
 三十番神から出発した神社がここにもあった。熱田区二番の熱田社などもそうだ。
 有名どころの神様30柱を集めて日替わりで守ってもらうという発想はとても面白いし共感もできる。今でも日蓮宗の寺などで祀られているようだけど、お寺となるとなかなか目にする機会がない。
 三十番神の神社では30体の神像を作ったりしていたのだろうか。

 あらためて思うのは港区というところは、江戸時代の新田開発とともにある土地だということだ。神社もほとんどが新田絡みといっていい。
 こういう土地はもちろん名古屋ではここだけだし、他の県でもめったにないんじゃないかと思う。大阪などはどうなんだろう。
 新田開発で苦労して、第二次大戦の空襲で焼けて、伊勢湾台風でひどい被害にあっているのに、それでも港区は不思議と暗さがない。神社もそうだ。
 それは新しい土地だからということもあるだろうけど、それよりも港区の開拓者精神みたいなものが勝っているようにも思う。
 今港区に暮らしている若い世代の人たちが過去の歴史にどれくらい思いをはせているかは分からないけれど。

スポンサーリンク

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Scroll Up