西福田新田の神社はよく分からない

 今日の1ページは西福田3の熱田社
 西福田新田は鬼頭景義が開発したとされているのだけど、神社に関しては鬼頭景義の影が薄い。鬼頭景義が創建したとはっきり伝わっている神社はひとつもない。
 東福田新田と比べると熱田社が多いという特徴がある。
 これらは何を意味しているのだろうか。東福田新田と西福田新田はほぼ同時進行といっていいくらいの時期に開発されているにもかかわらず、どことなく歴史的な性質が違っているように感じられる。
 開発から12年後に志水甲斐守に給付されたときは池や川だらけだったということは、鬼頭景義は干拓まではしたけど農地にまではしていなかったということだろうか。
 そのあたりの事情がもうひとつよく分からない。
 神社の創建についても、西福田新田の神社は由緒不明のところが多い。
『尾張徇行記』では寛永19年(1642年)や慶安4年(1651年)としているのに、どうして神社の由緒や『愛知縣神社名鑑』などはその情報を採用しなかったのだろう。
 西福田新田の神社をすべて書いたらもう一度総括しようと思っているけど、結局よく分からないままで終わってしまいそうだ。

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