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すべてのページを今の水準に引きあげる

 今日は北区の六所神社(成願寺)八幡社(児子社)の直しだけで燃え尽きて力尽きた。

 六所社や六所明神とは何かということを再検討して結局分からずじまいではあったのだけど、ある程度自分の中で整理がついた。やはり六神が集まっているから六所ではなく六所明神から来ている可能性が高い。ただ、中世から近世にかけての人たちにとって六所明神がどういう神だったのかが分からないのでそれ以上先に進めない。
 継続調査対象には違いないのだけど、これ以上分かることがあるかどうか。

 児子社は綿神社か? ということもあらためて検討してみた。
 以前は分からなかったことが分かるようになった分、理解は進んだ。
 綿神社が中世に八幡社になったとき綿神社の祭神が分けられて児子社として分離独立したという津田正生説に私も賛同する。八幡社になって戻った綿神社の祭神が玉依姫命、神功皇后、応神天皇になっていることを疑問に思っていたのだけど、志賀海神社の相殿神とぴたりと一致することで謎が解けた。
 ただし、だからといって今の綿神社が式内の綿神社ではないということにはならない。綿神社も児子社も式内の綿神社という理解でいいのではないかと思う。

 それにしても二周目の直しはきつい。一度完成させた絵をもう一度上から描き直すというか、できあがっている曲を作りかえるといった作業に似ている。あらたに文章を書き足すと全体のバランスが崩れたり流れが途切れたりするので、そのあたりの調子を整えるのが大変だ。ときには一度分解して組み立て直すという作業が必要になる。
 とにかく、すべての神社のページを最低限のラインまで引きあげないといけない。
 あまり先々まで考えると途方に暮れてしまうので、目の前の1ページ、2ページのことだけを考えることにする。引き続き北区の直しをやる。

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