二周目の直しは、中村区の春日神社(新富町)、白山神社(日比津)。
神社調べで重要なことのひとつに江戸時代の村域把握がある。
その神社が何村の神社だったか分かれば大きな手がかりになるし、分からなければ途方に暮れることもある。村を把握できれば、『寛文村々覚書』や『尾張志』で調べられる。
今回でいうと、新富町の春日神社はどこの村だったのかがひとつ鍵を握っているのだけど、結局よく分からなかった。枇杷島村だと思うのだけど、江戸時代の史料の枇杷島村に春日社も権現も出てこない。1572年の創建なら当然載っているだろうに。
場所の移動が神社調べを難しくすることがあって、村を越えて移動してしまうとなおさら経緯を掴みづらくなる。
春日社は本当にもとから今の場所にあったのだろうか。
名古屋の神社の何割を把握しているかということはいえないのだけど、ときどき1割も掴めていないのではないかと暗い気持ちになることがある。実際そうかもしれない。
大部分回って、回った分についてはけっこう調べて書いているつもりだけど、分かっていることよりも分からないことの方が多いのは間違いない。
全部分かることなど不可能ということは知りつつも、もう少し分かるようにならないだろうかと思わずにはいられない。
コメント