小椋一葉『天翔る白鳥ヤマトタケル』を読んで

 二周目の直しは、中村区の油江天神社八幡社(大秋)

 油江天神も土江天神も格式のある古社だっただろうけど、それが現代までつながっているとはいえない。形として残っていても、格式がつながっているとは限らない。家も神社も、一度没落すると再浮上は難しい。

 大秋の八幡社もひょっとすると古社なのではないかと思う。こちらはその面影もほとんど残っていない。

 小椋一葉『天翔る白鳥ヤマトタケル』を読む。
 歴史小説として読む分には面白いけど、歴史書というには問題が多い。
 まず、尾張氏がなんたるかということとヤマトタケルとはどういうことかということが根本的に理解できていないように思う。記紀の神話や神社の縁起を素直に受け取りすぎている。
 1989年に出版されたものだからその後認識を深めたかもしれないけど、この地点では分かっていない。
 各地を実際に巡って地元の伝承を調べている姿勢は評価されるべきだけど、あまりにも伝承を信じすぎている。それもまた危ういことだ。
 歴史学は信じる心半分、疑う心半分くらいでちょうどいい。そして、どれだけ確信を持てたとしても、最後の一片の疑う気持ちを持ち続けなければならない。それは歴史家の良心のようなものだ。
 自分の説がどれだけ理にかなっていても、きれいに説明できたとしても、実際に過去に起こったことがそうだったとは限らない。現実は往々にして理不尽なもので、ときに説明がつかない。
 歴史小説家ならこれでいいとしても、歴史学者としては反証を怠っているとしか言いようがない。自分の信じたい物語を補強するために伝承を寄せ集めているような態度は問題だ。
 ヤマトタケル伝承は確かに各地に残っていて、ヤマトタケルが創建したとされる神社やヤマトタケルが祀られている神社は多い。
 個人的にはヤマトタケルは実在したと思っている。作り出された人物像とするには各地の伝承が濃厚すぎる。
 しかし、ヤマトタケル伝承のすべてをヤマトタケルというひとりの人物のものとするのはさすがに無理がある。ヤマトタケルの物語は複数のタケルの二重写し、三重写しで、時代もひとつではないだろう。写真で言うと多重露光のようなものだ。だから、無関係の人間が関係しているような錯覚も起こる。
『出雲国風土記』はどうして倭武天皇としたのか。『先代旧事本紀』では何故、ヤマトタケルは尾張で亡くなったと書いているのか。そのあたりに触れていなかった点も不満として残った。
 ただ、いくつかの考察でいい線を突いていると思ったことがあった。たとえば、ヤマトタケルは伊吹山で負けた後、琵琶湖の東に敵対勢力がいて仕方なく伊勢回りで大和に帰還する道を選んだのではないかとか、亡くなったとき遺体が失われてしまったのではないかとかいったことだ。それはあり得る話だと思った。これなら不自然な大和帰還ルートも説明がつくし、普通に死んで葬られたなら白鳥伝説は生まれなかった可能性が高い。
 信じる気持ちと疑う気持ちが大事というのは歴史家だけのことではない。歴史書を読む我々もまた同じことが言える。
 すべてを疑えば真実から遠ざかるし、信じすぎてもまた真実から遠ざかってしまう。



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