『古語拾遺』を読んで思うこと

 二周目の直しは、中村区の神明社(城屋敷)津島社(岩塚)八幡社(岩塚)

 中村区の直しは最後までペースが上がらないことが分かったので、今の調子で毎日コツコツやっていくことにする。

 斎部広成撰/西宮一民校注『古語拾遺』(岩波文庫)を読み終わった。
 本編はごく短く、神話や天皇の功績などのダイジェスト版のような内容になっている。
 後半は斎部の愚痴というか泣き言というか、中臣ばっかり祭祀を独占してズルい的なことが書かれている。
 基本的には『日本書紀』を踏襲しているのだけど、一部、斎部広成独特の解釈もあって、そこがこの書の一番のキモとなっている。
 それにしても、『日本書紀』や『古事記』の神話をそのまま採用しているのは何故なんだろうというのが素朴な疑問だ。『先代旧事本紀』もそうだ。
 それぞれの一族の立場で書いたというなら、神話もオリジナルなものであってもいいのにそうしていない。忖度というやつなのか、本当に記紀神話しか伝わっていなかったのか。
 かえすがえすも各地の『風土記』が失われてしまったのが惜しい。残っているのは『出雲国風土記』など一部しかない。
『風土記』には記紀神話に対する迎合といったものがないから、『尾張国風土記』が残っていたら多くのことを知れたのに。
 タイムマシンで過去に戻ることができたら最初に探すのは『国記』や『天皇記』などではなく『風土記』だ。あと、『日本書紀』の系図も見つけたい。
 まあ、それはともかくとして、そろそろ『日本書紀』をもう少ししっかり読むときが来たかもしれない。



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