『真清探當證』を読む

 二周目の直しは、緑区の有松天満社神明社(桶狭間)仁位殿社神明社(曽根)

 直しも一度にやりすぎると後半は流してしまいがちなので、ある程度抑えておいた方がよさそうだ。飛ばしすぎはよくない。

 今日も引き続き読書優先。
 小椋一葉『継体天皇とうすずみ桜―古代秘史『真清探當證』の謎』を読む。
 中央の学会からは当然のように相手にされない、秘められた歴史書である『真清探當證』について書かれた本なのだけど、妙なリアリティがあって、軽く受け流すことはできない。もし本当だったら、かなり大変なことだ。天武天皇や持統天皇にとっては放置できなかったに違いない。
 最も重要な点は、後に仁賢天皇と顕宗天皇になる億計王と弘計王を愛知県一宮市の真清田神社(『真清探當證』では真黒田神社)がかくまって育てたということではなく、仁賢天皇が初めて大嘗祭を行い、真黒田大神(真清田神社祭神)を神として奉ったという点だろう。

 機会があれば、神社コラムで『真清探當證』についての考察をしてみたい。



2件のコメント

  1. 億計王と弘計王との関係で真清田神社が「真黒田神社」と表記されているとすると、2人の王が真清田神社に向かう途中に立ち寄ったとされる黒田神社(現 籠守勝手神社?)との関係が個人的には気になります。単なる混同・誤記の可能性もありますが。

    1. >のみぴょんさん

       こんにちは。
      『真清探當證』によると、億計王と弘計王が黒田の森で休んだときにお付きの人間がここは黒田だと答えたため(当時の黒田明神、今の籠守勝手神社)、黒田大神(今の真清田神社)に着いたときにここも黒田だというとこんがらがるだろうから、ここが真の黒田大神ですと答えて、それ以降、真黒田大神と称するようになった、といってます。
       真清田神社は『延喜式』神名帳では真墨田神社となっているし、黒と墨を間違えたなんて話もあるので、まったくあり得ない話とは思えません。

      『継体天皇とうすずみ桜―古代秘史『真清探當證』の謎』は作者の小椋一様が『真清探當證』を世の中に出してほしいと委託されたことから生まれた作品で、委託した人間も委託された人間も作り話をする必然はないんですよね。ある種のリアリティと説得力を感じます。
       のみぴょんさんは一宮も詳しいと思うので、書かれている内容の真偽はともかくとして、機会があれば読んでみてください。いろいろ感じるところがあるんじゃないかと思います。
      『真清探當證』のコピーが一宮市図書館にもあるようです。

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