二周目の直しは、中川区の若宮八幡社(小塚町)。
村名が小塚で、古い地名が墓原、社が若宮と来れば不慮の死を遂げたかどうかした人が葬られた塚に社を祀ったのが始まりと考えるのが妥当な推理ではある。
しかし、いくら理にかなっているからといってそれが真実とは限らない。事実は全然別のところにあるかもしれないから、決めつけてはいけない。
そこが歴史の難しいところでもあり面白いところでもある。
我々がそうであるように、どの時代のどの人にとっても未来は不確定であり、現在進行形の現実も不確定要素に満ちている。思い通りにはいかないことが多いし、思いがけず良いことも悪いことも起きる。いつも理屈通りにいくわけではない。
神社創建の理由にしても一種類とは限らない。変な理由とか、たまたまとか、軽い気持ちでとか、どんな形で始まったか分からない。どんな可能性もあり得る。
推理することは悪いことではないけれど、実際のところは分からないという大前提を意識しておく必要がある。
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