首塚社廃社のお知らせ
北区にある首塚社が廃社になるという知らせを受けた(たかぎ様より)。
あの社は住宅街には違和感がありまくりではあったのだけど、だからこそ”効いていた”わけで、それをどんな理由にせよなくしてしまうのはちょっと危うい。何かよくないことが起きるのではないかと心配になる。
もともとどういういわれのものかよく分からなくなっている社ながら、名前からしても何らかの首塚が関わっているには違いない。一般的な神社とは成り立ちが違っているだろう。
21世紀の現代社会に”祟り”のたぐいがないと考えるのは間違いだ。人の心は時代を経てもそう変わるものではない。
街中の小さな社がそういった念に対する抑えになっているということは充分にあり得る。
それと、本編にも書いたように、神社というのはある種の記憶装置の役割を持っていて、歴史の証人でもある。その社があることによって伝わる歴史があり、形ある社がなくなることで形を持たない歴史が失われてしまうことも多い。
歴史というのは書物に書かれるだけではない。
個人的にこの首塚社に対して何かしているわけではないし近所の人間でもなく、このサイトを作るために一度参拝に訪れただけではあるのだけど、それでも残念というか惜しい気持ちになる。
諸事情というのはある程度理解できるものの、何とかもう少し頑張れなかったのかとも思ってしまう。
張り紙に書かれた内容からすると、他の神社へ移すのではなく完全に廃社にするようだ。せめて近くの神社(片山神社とか)に移して境内社として存続させられるといいのだけど、そのへんも難しいのだろうか。
このサイトを作って数年の間にもう何社も廃社になっていて、この先もそれは続いていくのだろう。そのたびに寂しい気持ちになる。