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神社を建てるとはどういうことなのか

 今日の1ページは南区本星﨑の軻愚突知社
 個人的な感触としてはここが星宮の元地のように思うのだけど、実際はどうなのだろう。
 星宮と上知我麻神社・下知我麻神社の関係性だけでもややこしいのに、そこへ熱田社の平将門の調伏祈願の話が絡んでくるから余計に混乱する。更に星﨑城築城と遷座も考え合わせなければいけないとなると、もはや整理がつかない。
 分かるのは星宮がどんな歴史を辿ったにしても非常にいい落ち着き方をしているということだ。あんな多重奏の美しいハーモニーを奏でている神社は他には知らない。

 神社の歴史を考える場合、縄文時代あたりの自然崇拝から古代祭祀への流れを見ていく必要があるのだけど、現実的にはというか実際には古墳時代から飛鳥時代、平安時代以降ということで考えることになると思う。
 ひとつの鍵が延喜式神名帳であり、尾張国内神名帳だ。それ以前かそれ以後かという区切りがある。
 平安末から鎌倉、室町の神社については意外に史料が少なくて分かることはあまりない。
 次に記録として出てくるのが戦国時代だ。そして江戸時代ということになる。
 歴史を追うという意味ではそういう流れの中で捉えていけばいいのだけど、私が本当に知りたいのは神社に対する人々の気持ちの部分だ。
 建てた人の気持ち、参拝する人の気持ち、時代の気分、歳月による変化といったことを知らないと、本当に神社を理解したことにはならない気がする。
 何故その神を祀る神社を建てようと思ったのか。何故その時だったのか。何故その場所だったのか。
 どの本にも史料にも書かれてない何故の答えは永久に分からずじまいなのか。
 神を信じることや信仰心を持つことと、神社を建てることは必ずしもイコールではない。神社を建てるという行為や、神社が存在することの意味は、神の存在を信じることとイコールでもない。
 神社を建てるというのはどういうことなのかをずっと考えている。このサイトが完成するころには自分なりの答えが見つかるだろうか。

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