秋葉社は他に替えが利かない
今日の1ページは江松4丁目の秋葉社。
だいたいの秋葉社について何か分かることは少ない。愛知県神社庁に加盟していれば『愛知縣神社名鑑』に載っていて多少知ることはできるけど、そうじゃなければ情報が得られないことがほとんどだ。
江戸期の書も秋葉社について記述しているものは、ほぼないといってもいい。
兼務している宮司さんですら秋葉社についてどれくらい知っているのか。
お世話をしている近所の人なども、歴史についてはあまり知らないんじゃないだろうか。
それでも秋葉社はけっこう大事で、あってもなくてもどちらでもいいといったようなものではない。
小さな規模の社を個人宅なり町内なりで守っていくという姿勢そのものが大切なのだと思う。
信仰などといった大げさなものではなくても、神仏を尊ぶ心の拠り所となり得る。
他の神社が秋葉社の代わりをできるかといえばこれが案外できない。龍神社だとか稲荷社だとかになると、信仰心だったり御利益だったりに気持ちが傾きがちだ。
昔は秋葉社と天王社が集落の守り神としての役割を担っていたのだろうけど、天王社は津島社に変えられたこともあって、ちょっと廃れ気味だ。
それにしても神社めぐりをするまで秋葉社がこんなにもたくさんあることを知らなかった。