2018年6月– date –
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サイト制作記
名前のない神社はたくさんあった
今日の1ページは東区芳野の社宮司神社。 社宮司という名前の神社のすべてが民間信仰のミシャクジから来ているわけではない。民間信仰といってもそれは多種多様で、実態はよく分からないものも多い。社宮司という名前を後から当てただけということもあ... -
サイト制作記
江戸時代の人の信仰心とは
今日の1ページは東区芳野の稲荷社(義市稲荷)。 竹腰家の屋敷に祀られていたからといって竹腰正信が勧請したとは限らない。でもやっぱり当主である正信の意に反して祀るということはないだろうから、正信自身が祀ったのだろうか。でも、なんで稲荷だ... -
サイト制作記
道があって集落ができて神社が建つ
今日の1ページは千種区茶屋が坂の三十番神社。 三十番神社や三十番神信仰などというものは神社サイトを始めるまでまったく知らなかった。知らなかったことは他にもたくさんあるのだけど、三十の神が毎日交代で守るという発想が素敵で、けっこう衝撃を... -
サイト制作記
天武天皇時代の名古屋の神社は
今日の1ページは西区名塚の白山社。 天武天皇と尾張国との関係性がよく分からない。 大海人皇子のとき大友皇子との戦いで尾張氏は兵を出して大きな貢献をしているはずなのに、天武天皇として即位してから尾張氏はあまり優遇されいるような感じがない... -
サイト制作記
『愛知縣神社名鑑』よもう少し
今日の1ページは西区稲生町の神明社。 『愛知縣神社名鑑』の説明は言葉足らずで言っている意味がよく分からないことがある。稲生町の神明社についてもそうだった。スペースが限られているから仕方がない部分もあるのだけど、もう少し説明してもらわない... -
サイト制作記
西区から出られない
今日の1ページは西区稲生町の水神堂。 いろいろなスタイルの神社があるけど、公民館のような建物で扉が完全に閉ざされているというのは初めてかもしれない。中がまったく見えないとなると手がかりが掴めない。中には社があるのだろうか。 『尾張志』に...