サイト制作記– category –
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サイト制作記
港区を再開する
今日の1ページは港区正徳町1丁目の神明社。 同じ熱田新田の番割の氏神から分霊して神社を建てるということが実際にあったのかどうか。神社の由緒にあるからには根拠があるのだろうけど、本当かなと疑う気持ちはある。 もし本当だとしたら、二十二番... -
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須佐之男があって牛頭天王がある
今日の1ページは西区坂井戸の津島社。 元は上小田井村の天王社というのだけど、その天王社をいつ誰が祀ったのかは分からずじまいだった。 牛頭天王を祀る天王社も、よく分からない神社だ。いつ頃から一般に祀られるようになったのか。江戸時代なのか... -
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秋葉社+公民館
今日の更新は2ページ。西区坂井戸町の秋葉堂、北区川中町の川中神社。 どちらも分かることはほどんどなかった。川中町の神社はかろうじて川中神社という名前だけでも分かったのはよかった。名前すら分からない神社はやっぱり落ち着かない。不明社のま... -
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二周目以降がある
今日の1ページは北区福徳町の秋葉社。 すぐ隣の八龍社を訪れたときは気づかず、その後に存在を知ってあらためて出向いていった。 境内社のようにも見えるし、そうでないようでもある。どちらにしても最初からここに建てられたものではなさそうだ。 ... -
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数と個性
今日の1ページは北区中味鋺の忠魂社。 名古屋市内の神社を巡って驚いたのは600社を超える数だけでなくその多様性だ。神明社、八幡社、稲荷社といった一般によく知られた神社だけが神社のすべてではない。石を祀ったり、拾った仏像が神社になったり、寺... -
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古代史の神社側アプローチ
今日の1ページは北区楠味鋺の東八龍社。 ここしばらく物部のことが気になっている。以前、漠然と抱いていた物部のイメージは全然違っていて、もっとずっと重要な鍵を握る一族だったと認識を改めた。 初期ヤマト王朝とどう関わったのか、尾張国におけ...